。 言うまでもなく,こうしたインタラクティブ性を利用した“演出”というのは,ゲームならではの要素の一つである。例えばこれは,ドラゴンクエストシリーズにおける選びようのない“選択肢”を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。その選択に“シナリオ的な意味”はない(意味があるものもあるが)が,プレイヤーに能動的なアクションを強いることが,プレイヤーをゲームの世界に引き込むための“演出として機能している”わけだ。 ノベルゲームは,よく“ゲームではない”と言われる。なぜなら,大抵のノベルゲームには,トレードオフ……つまり“駆け引き”の概念がないからだ,アラド戦記 RMT。ウィル?ライト氏が自身が作った「シムシティ」をゲームではないとするのと同じ理屈(あれはゲームではなく,あくまで玩具/道具だとしている)で,ノベルゲームもまた,ゲームとは言えないと指摘されることが多い。 しかし,ゲームが編み出した“インタラクティブ性を利用した演出”が,ほかのメディアでは実現不可能なことは間違いなく,またノベルゲームというものが,“インタラクティブ性を利用した演出”に磨きをかけてきたのも確かである。そうしたゲームならではの独特の手法があったればこそ,筆者は,本作に違和感なく感情移入することができたのではないか。 重要なのは,“ノベルゲーム”がゲームかどうかではなく,現時点ではゲームという枠組み(商品)でしか表現しえない,独特の手法を持っているということではないかと思う。 その意味では,本作はそうした“ゲームならではの要素”があって初めて成り立つ作品であり,決して「小説を読めばいいじゃん」「映画でいいじゃん」で済む作品ではない。本作というか,ノベルゲーム全般に言えることだがは,arado rmt,ゲームならではの良さ,面白さが詰まった作品だと言えるだろう。 昔の自分がそうだったので,あまり強くは言えないのだが,本作を「テキストを読むだけじゃゲームとは言えない」「ノベルゲームはなぁ」と一蹴してしまうのは,ちょっともったいないと思うのである。 枯れたジャンルならではの良さというものがある ……とまぁ,いろいろと屁理屈をこねながら本作をおすすめしてみたわけだが,そうは言っても,この作品は「テキストアドベンチャー」と「タイムトラベル」という,言い方は悪いが枯れたジャンル/テーマを題材にしており,ゲーム市場の最先端を走る,目新しいタイトルだとは言えないかもしれない。 しかし筆者としては,今回本作をプレイしてみて,「枯れたジャンルだからこその良さ」があるということを,あらためて思い知らされた
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